剣道 昇段審査 模範解答

剣道昇段審査学科試験(筆記試験)の模範解答例(四段)

剣道四段昇段審査の学科試験(筆記試験)の模範解答例です。

 

年度によって出題の内容が異なりますので、他の段位の模範解答例もご参照下さい。

 

 

1.剣道修行上の目的と心構え

 

剣道は、わが国の歴史と共に進歩発展した日本民族の遺産ともいうべき物で、いたずらに竹刀で打ったり、突いたりする技の巧拙を比べて、楽しむような遊戯的なものではなく、日本人として大切な体育法であり、修養道であり、いわば宗教に近いものである。
従って剣道は理屈ではなく、剣道そのものが実生活であり、精神の修養であり、人格の修養であり、保健体育であり、心と身の鍛練が目的である。
何事の修行においても精神を十分鍛練しなければ、その妙奥に達することは困難である。
ことに剣道は手足の技(業)ではなく、腹の技(業)である。つまり精神を基本とするものであるから、いかに身体四股の動作が軽妙自在で竹刀、太刀の操作が妙快速を究めても、精神の運用がこれに伴わねば、幾十年道場に通っても、この妙奥に到達することができないのである。

 

剣道修業(行)上の心得は多々あるが、

 

(1) 礼儀作法を重んずる
(2) 不屈不撓の精神を持って修行する
(3) 思念工夫が必要である
(4) 正剣を学ぶことが必要である
(5) 衛生に注意して修行を中絶せぬようにする

 

以上の5点がもっとも重要である。

 

 

2.剣道上達の要点

 

剣道の目的とその心構えを十分把握し、一生が修業であることを覚悟して、日夜真剣勝負の気持ちで修業することが大切である。
一般的に心得ておく要点は、

 

(1) 精神的、技術的理論を研究すること
(2) 剣道形に習熟すること
(3) 保険衛生に留意すること

 

である。
初心者はもとより高段者であっても基本技、応用技を十分会得すると共に、心技体の一致練磨をはかり一切の邪念を去って、素直な気持ちで師の教えに従うことが剣道上達の根本である。

 

 

3.剣道の効果的な指導法

 

剣道の効果的な指導法として、指導者の留意すべき要点は、

 

(1) 剣道の本質をよく理解し、それに合致する指導を行うこと(剣道の目的と精神に合致する指導)。
(2) 自己の人格完成と剣道技術および指導力の向上を常に心がけること。
(3) 指導要領をよく研究し系統的に指導すること。(適切な指導計画の立案)
(4) 初心者には姿勢を正し十分に伸びのある打突を行わせ、技癖のつかぬよう、また興味を失わないように指導すること。
(5) 上位の者には理論を併用して十分な指導を行い、真の剣道を理解させること。
(6) 剣道が他を十分習熟させ、理合いと理論を理解させること。

 

以上の点に留意することが最も必要であるが、より効果的に指導するには個々の年齢、体力、技能など、それぞれの能力に応じた指導を行うと共に、常に保健衛生面に留意することが大切である。

 

 

4.剣道形練習上の心得について

 

(1)形は約束に従い、一定された形式と順序によって練習するものであるが、精神的には形にとらわれることなく、何れにも変化できるだけの心身の余裕を持つものでなければならない。
 打太刀は色々な攻めを頭に描き、最終的には約束に従って気合を充実して仕太刀の守を破る気魄で打ち込むのである。
 仕太刀はどこから打ち込まれても臨機応変の処置ができる体勢となり、初めて約束に従うことができるのである。
 このような心構えで形を練習すれば、形はそのまま剣道練習に通じ実生活にも活用できるのである。

 

(2)形の実施中は、始めの座礼から終わりの座礼まで、特に構えを解いて後退する時など気分を緩めずに、終始充実した気魄で練習しなければならない。

 

(3) 形は打太刀と仕太刀により成り立っている。
 打太刀は客位に合って打突動作の相手となり、仕太刀の動作を完全に表示させる。すなわち師の位である。
 仕太刀は主位にあって、打太刀に動作を行わせ、それによって自分の動作を完全に表示する。
 すなわち門人の位である。

 

 そこで形の練習においては、通常打太刀に上位の者があたり、あくまでも打太刀が仕太刀をリードして双方の呼吸が合い、十分な気合の充実が肝要であり、心技ともに打太刀から始動し、仕太刀は常に打太刀に従って行動するものである。

 

(4)形の練習にはまず形の技術に熟練することであるが、同時に形の理合いも理解しなければならない。
 理合いを知らずに技だけを練習しても、その形は死に物に等しく、理合いを知って始めて形の意義が生まれてくる。
 それに加え十分な気合、および形の中に流れている緩急強弱を習得し、技術の上に表現していかなければならない。
 音楽も音律や拍子があるように、形にも強さ早さに変化があって、形の妙味が生ずる。
 往々にして動作が終始画一的で強弱遅速がなく形にとらわれすぎて活気のない気の抜けた形に陥りやすい。
 つまり技術・理合・気合・緩急強弱が備わって、始めて真の形が生まれてくるのであって、これを絶えず練習することにより、おのずと位や風格がついてくるのである。位や風格は根気よく永年修練することによってのみ自然に備わるものであって、短日月の間に備わるものではない。
 このような形であれば練習次第では、稽古に劣らぬ効果を上げうるのである。

 

(5) 打太刀、仕太刀の位置は、これまで正面に向かって左が打太刀、右が仕太刀とされていたが、論拠が不明白で地区的には、まちまちであった。
 そこで昭和42年9月、日本武道館で行われた全日本剣道連盟の講習会にあたり講師が協議した結果、これが従来とは逆になり、正面に向かって右が上席、すなわち打太刀とし、左を次席、すなわち仕太刀と改めることを申し合わせ伝達された。
 その理由は宮内庁の礼法により、正面に向かって右が上席で左が次席であることが明確にされたことによる。

 

 

5.稽古と試合の意義

 

稽古とは、古きを稽(かんがえる)ことで、繰り返し習うことを意味する。
稽古の目的は、今まで練習した基本動作の技術を活用し、また応用動作により習得した技を、ますます磨き相手の意志動作を判断して、常に攻勢を主として動作を正確敏速にし、打突が自由自在にできるようにして、結局的には試合の基礎を作ることである。
基本動作の心技両面にわたる練磨が稽古の核心である。

 

主なものとして
(1) 打ち込み稽古
(2) 掛かり稽古
(3) 互角稽古
の3種がある。

 

試合は、稽古により習得した技術を活用し、互いに全力を尽くして勝敗を決し、ますます技術を習熟し、精神と身体を鍛練することを目的とするものである。
剣道の第一目的である精神の鍛練は試合によって、最もよく達成されるものであるから、適宜これを実施することが望ましいのである。

 

 

6.審判員としての心構え

 

剣道試合の審判とは、両者の勝敗を裁決することである。
剣道の試合は、剣道発展のための方法であり手段である。
従ってその審判は、剣道の正しい発展に沿ったものであり、その発展に役立つように実施されなければならない。

 

(1) 審判の意義
審判とは「審(つまび)らかに判定する」ということである。
何を審らかに判定するかといえば、概ね次の6つの内容である。

 

(イ)打突部位 (ロ)間合 (ハ)理合 (ニ)強度 (ホ)刃筋 (ヘ)残心

 

以上6つの要素・要件を瞬息の間に審らかに判定するのが審判である。
従って審判員は心技共に卓越した者でなくてはならない。

 

(2) 審判員の資格(精神面、技術面、健康面)

 

(イ)公正無私の人であること。
(ロ)冷徹・果断・信念の人であること。
(ハ)中正で一貫性の持続できる人であること。
(ニ)剣理に精通していること。
(ホ)審判規則を熟知し、いかなる事態も一瞬に解決できる能力を持つこと。
(ヘ)十分な修練を積み、豊かな経験を持っていること。
(ト)肢体健全で体力十分なこと。
(チ)正視・正聴であること。
(リ)言語明晰であること。

 

(3) 審判員の使命を自覚すること。
剣道審判の適否は、剣道の興隆発展につながると同時に、また逆に剣道の混乱、堕落を惹起するものである。
したがって審判員の審判は、常に日本剣道の命運がかかっているという使命感に徹し、その自覚のもとに厳しく自己を律しなければならない。
(イ)審判員は試合者の生命をあずかる者であることを自覚すること。
(ロ)剣道審判の困難性を自覚すること。
(ハ)審判修練の必要性を自覚すること。

 

(4)審判員の権利と義務を遂行すること。
審判に対しては、何人であっても異議を申し立てることは許されない。
従って審判員は、その権利を正しく行使するとともに、その義務を完全に遂行しなければならない。
審判は絶対であると、その権利を主張するならば、その絶対に値するだけの義務の遂行、つまり審判員としての資格を備える努力と研究をすることである。

 

(5)審判の威厳を落とさぬこと
(イ)服装が端正であること。
(ロ)態度が厳正であること。
(ハ)裁決が果断であること。
(ニ)審判員の礼法は厳正で実践示範すること。

 

 

7.三つの先

 

先とは機先を制することで、ことに剣道においては機先を制することが大切である。
これに三つの場合があり、先々の先、先、後の先である。

 

(1)先々の先
相手の起りの気を早く察知して、直ちに打ち込み、機先を制するのであって、相手が動作を起こさない前に、相手の先に先じて、直ちに打つ先である。
未だ声もなく形なきにこれを察知し、自分から形に表して懸かりゆくものであるから、懸かりの先ともいう。

 

(2)先
隙を認め相手より打ち込んでくるのを、相手の先を取って勝つのである。
すなわち摺り上げ、応じ返し、体をかわして引き外しなどして、自分が先になって勝つのである。
相手からも懸かり、相対抗して勝つので「対の先」または「先前の先」ともいう。

 

(3)後の先
隙を認めて相手から打ち込んでくるのを切り落とし、太刀を凌ぐなどして、相手の気勢の緩むところを、強く打ち込んで勝つことをいう。
故に「待の先」または「先後の先」ともいう。

 

 

8.三殺法

 

剣道では竹刀(刀)を殺し、技(業)を殺し、気を殺すことを三殺法(三つの挫き)という。

 

(1)竹刀を殺すというのは、相手の竹刀を左右に押さえ、あるいは捲き払いなどして竹刀の自由な動作、すなわち剣先を殺すことである。

 

(2)技を殺すというのは、先を取って隙間なく攻め立て、相手に攻撃の機会を与えず、技を出させないようにすることである。

 

(3)気を殺すというのは、絶えず全身に気力をみなぎらせて、先の気分をもって向かい、相手の起り頭を押さえる気位を示す。
 気を押さえ、あるいは間合を上手にとって相手の気を逸らし、相手のひるむところを、すかさず気位を保って改めたてることである。
 これは竹刀および技を殺す動作と平行して表れる。

 

 

9.狐疑心

 

狐疑心とは、字句の解釈では、「疑い深く決心せぬこと」また「狐の性は疑心の多いものである」という、古語より出たものであると解する。
この疑心が剣道において一度心中に生じ、たとえば相手の面を打てば、相手は小手にくるなどと疑っている時は、周到な注意を欠いて、他に隙を生じ、たちまち相手に打突されるものである。
故に狐疑心を捨て去って、初めて軽快な妙味のある剣道ができるのである。

 

 

10.隙について

 

隙を打つのが剣道であると言われている。
隙とは、心身に虚隙のあるのを言うのであって「虚」と称する。
試合においては、常に相手の虚実を観察し、自分の虚実を相手に知らさないようにして相手の実を避けて虚を打つようにすべきである。
隙には心の隙、構えの隙、動作の隙の3つがある。

 

1.心の隙(四戒、弧疑心、止心等)
 心は動作を起こす根元である。
 その心の何処かに抜けている所があるのを心の隙という。
 常に心が全身にゆき渡るように練磨して、虚隙を生じないように努めなければならない。

 

2.構えの隙
 「構え」は言わば城である。完全な構えは難攻不落の城と同様に、相手に対して非常に有利であり、正しい構えをもって、各部を完全に守り、どんな技にも応じられると同様に機を逸せず攻撃に出るべきであって、仮にも構えに隙を生じてはならない。

 

3.動作の隙
 隙は動により生じ、動により消滅すると言われている。
 打つべき好機としてあげた事項は、いずれも相手の動作に隙を生ずる場合を指したものである。
 相手と相対する場合、心の隙、構えの隙を生じてはならないと同様に、その動作にも隙を生じないためには、常に先の気位をもち、残心を保つことが極めて重要である。
 自分のみに隙のないようにして相手の隙をうかがい、隙を誘い出すことが剣道の要訣である。

 

 

11.勘について

 

相手の虚実を見分け打突する事は、なかなか困難なことである。
編か極まりない試合中に今が打突の好機だと考えてから打込むようでは間に合わない。
隙を認めたときには、既に隙がなくなっている事が多い。
隙を認めた瞬間すでに打込んでいるのでなければならない。
つまり打つ機会が鏡に映るように働く「勘」による以外にないのである。
勘とは、最も鋭敏な感覚を意味し同種類の技を繰り返し練磨している間に習得するものである。
激しい稽古を通して、はじめは目や耳の五官の作用によってのみ感じていたのが、進歩するにつれて響きなき音を聞き、形なき影を見るという霊妙な域に達するのであり、稽古に励むことがいかに必要であるか、という事がわかるのである。
経験によって勘の出来上がった人でも、心が乱れるときは、その妙用意を失うに至るから、常にいわゆる無念無想、明鏡止水の心を保つことが必要となる。

 

うつるとも 月も思わず うつすとも 水も思わぬ 猿沢の池

 

という道歌の意味もここにある。

 

 

12.虚実

 

実とは、精神に気迫が充実していて油断なく、注意の行届いていることをいい、虚とは実の反対で心身に隙の生じた時をいう。
たとえば(相手の)守りの堅いのは実であって、そうでないのが虚である。
故に実を攻めると相打ちとなり、お互いが損傷するばかりである。
また虚を持って相手の実に当たると虚しく敗れるのである。
このようなわけであるから、相手の虚実の体勢を機敏に洞察し、自己の虚実を秘して相手の実をさけて虚を打ち、水が地形によって流形を制約されるように、剣道も相手によって勝ちを得なければならない。
例えば起り頭といって、相手が打込もうとして動作を起こそうとする時は、打込もうとする目的に向かうのが実であり、他に虚を生ずるものであるから、ここを打つのである。
また、懸かり口の虚に乗ずるともいわれるが、前述の起り頭と大同小異である。
或いは、また弧疑心といって、相手が打ち迷っているときは虚となるので、ここを打つのである。
その他、相手が居付いたとき、相手の動作が尽きたときなどでは、とかく虚を生ずるものであるから、これを我が身を持って打込むのである。
一説には、実とは本体をいうのであるから正しい打ちをいい、虚とは空虚の意味で、例えば色、誘いなどであるともいう。

 

 

13.奇正

 

孫氏の兵法の兵勢第5に「三軍の衆必ず敵うけて敗るること無からしむ可きものは、奇勢是なり」とある。
奇とは、つまり臨機応変の機略をいい、出没変化、神変不則、推測する事ができないもので、いわゆる相手の意表に出るのが奇である。
正とは、正々堂々の陣で、真正面から実を持って戦うことである。
したがってこの奇正の運用のよろしきを得るということが、最も大切なことである。
戦は正をもって相対して後、奇をもって勝を取るのであり、奇正の法の熟練者は正を本とし、機に臨んで奇を出すこと、袋の中から物を取り出すようなもので、奇正の妙用は実に無限である。

 

 

14.技癖

 

昔から人には無くて七癖といわれているように、各人それぞれ癖のあるものである。
剣道でも各人に技術上の悪癖があり、これを技癖という。
師から正しい技術を示されても個性の悪い表れとして技癖が生まれてくるのであるが、これはその技術を正しく理解していないためである。
技癖は、上達を妨げる大きな原因となるものであるから、技癖を指摘され正しい技術を示されたときこそ、最も大切なこととして技癖を直すように努力しなければならない。

 

 

15.剣道の四戒

 

四戒とは、驚、懼、疑、惑、の四つを言い、剣道修練中に、この中の一つでも心中に起こしてはならないという戒めである。
字句の解釈では、驚とは「おどろき」「おどろく」とあり、懼とは「気づかい」「恐れる」であり、疑とは「あやぶむ」「あやしむ」であり、惑とは「おどろき」「恐怖」「疑心」「まごつき」の心をいうのである。

 

1.驚
 予期しない相手の動作に驚く時には、一時心身が混乱し、正当な判断と適当な処置を失い、その甚だしい時は呆然自失する場合がある。

 

2.懼
 恐怖の念が一度心中に起ると、精神活動が停滞し、甚だしいものは手足が震え、その働きを失うものである。

 

3.疑
 疑心ある時は、相手を見て見定めがなく、自分の心に決断がつかず、敏速な判断、動作ができない。

 

4.惑
 惑う時は、精神が混乱して敏速な判断、軽快な動作ができない。

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